はじめに
個人のウェルビーイングに関する書籍などでは、楽観性、セルフケア、感情のコントロール、そしてレジリエンスなどの大切さが語られています。
ただ、こうした言葉に触れる中で、どこか息苦しさを感じたことはないでしょうか。
「前向きでいられない自分は、まだ十分じゃないのでは」
「うまく対処できない私は、ウェルビーイングから外れているのでは」
こうした感覚は、個人の努力が足りないからというよりも、ウェルビーイングをあまりにも“自分の内側の問題”や“自己管理の課題”として捉えすぎてきたこととに起因しているかもしれません。
心理学や社会科学の研究を見てみると、人の幸福や健康は、個人の内面だけで完結するものではないことが繰り返し示されています。むしろそれは、他者との関係や、私たちが置かれている社会的な文脈の中で、少しずつ形づくられてきたものだということが分かってきています。
この記事では、そうした研究の知見を手がかりにしながら、他者との関係を豊かにすることを通じたウェルビーイングのあり方について考えてみたいと思います。
関係性の中で育つウェルビーイング
ウェルビーイング研究において、他者との関係が重要であることは古くから指摘されてきました。たとえば、自己決定理論では、人が健やかに生きるために必要な基本的欲求として、「自律性」「有能感」とともに「関係性」が挙げられています(Deci & Ryan, 2000)。
また、社会疫学という分野の研究では、社会的孤立やつながりの乏しさが、死亡率や健康リスクを高めることが報告されています。その影響の大きさは、喫煙や肥満に匹敵するとさえ言われています(Holt-Lunstad et al., 2010)。これらの研究が示しているのは、ウェルビーイングを「個人の性質」や「心の状態」だけで説明することには限界があるということです。
ポジティブ心理学の代表的な理論であるPERMAモデルでも、マーティン・セリグマンは「R(Relationships:人とのつながり)」を重要な構成要素の一つとして位置づけています。彼は、持続的なウェルビーイングは、肯定的で意味のある対人関係なしには成り立ちにくいと述べています(Seligman, 2011)。

こうした理論や実証研究を見ていくと、ウェルビーイングは「私がどう感じているか」だけでなく、「私たちはどのような関係の中にいるのか」という問いと切り離して考えることはできないのだと感じます。
他者との関係を豊かにするための実践
ここからは、特別なスキルがなくても取り組める、日常の中での小さな実践について考えてみたいと思います。どれも理論的な裏づけがあり、現場や生活の中で繰り返し観察されてきたものです。
1.「理解する」よりも「聴く」ことを大切にする
誰かと話すとき、私たちはつい相手を深く理解しようとしたり、助言を与えようとしたりします。でも、来談者中心療法をはじめとする対話の研究では、評価や解釈を加えずに聴かれる経験そのものが、心理的な安全性や安心感を高めることが分かっています(Rogers, 1957)。
話を途中でまとめず、結論を急がず、「そう感じたのですね」と受け止める。その姿勢は、相手を変えようとしないという点で、関係性の質を静かに変えていきます。
2.「整ってから話す」という前提を手放す
多くの人は、「気持ちを整理してから話すべきだ」と考えています。でも、感情心理学の視点では、感情は語る過程や他者との相互作用の中で意味づけられ、変化していくものでもあります。
未整理な感情を共有することは、必ずしも未熟さを意味しません。むしろ、その語りが受け止められた経験が、関係への信頼や安心感を育てることもあります。
3. すべての関係を「良好」に保とうとしない
ウェルビーイングという言葉が広まるにつれて、「良い関係を築かなければならない」という新しいプレッシャーが生まれているようにも感じます。でも、心理的健康の観点からは、無理に関係を深めない選択や、距離を取る判断も大切です。
関係を続けることだけが価値なのではなく、自分を消さずにいられる距離を見極めることも、関係性の成熟の一つの形だと言えます。
小さな振り返り
ウェルビーイング研究では、ふりかえりが重要な役割を果たすことも指摘されています(Ryff, 1989)。少し呼吸を整えて、次のことを考えてみましょう。
- 最近、安心して話せた相手は誰だったでしょうか
- その関係の中で、どんな雰囲気や態度がありましたか
- 逆に、少し無理をしていた関係はありますか
答えを出す必要はありません。問いを持つこと自体が、関係性への感受性を高めることにつながります。
おわりに
ウェルビーイングは、個人が努力して達成する「状態」というよりも、人と人との関係の中で、揺れ動きながら形づくられていく「過程」なのかもしれません。
自分を整えきれない日、前向きになれない時、自分を責めないで、私たちは誰かとの関係の中で生きていることを思いだしてください。ウェルビーイングを「私の問題」に閉じるのではなく、「私たちのあいだ」にひらいて考えること。しんどい時は、離れてみたり、誰かにつぶやいてみたり、他の誰かのために時間を使ってみるのはどうでしょう。
参考文献
- Deci, E. L., & Ryan, R. M. (2000). The “what” and “why” of goal pursuits: Human needs and the self-determination of behavior. Psychological Inquiry, 11(4), 227–268.
- Holt-Lunstad, J., Smith, T. B., & Layton, J. B. (2010). Social relationships and mortality risk: A meta-analytic review. PLoS Medicine, 7(7), e1000316.
- Rogers, C. R. (1957). The necessary and sufficient conditions of therapeutic personality change. Journal of Consulting Psychology, 21(2), 95–103.
- Ryff, C. D. (1989). Happiness is everything, or is it? Explorations on the meaning of psychological well-being. Journal of Personality and Social Psychology, 57(6), 1069–1081.
- Seligman, M. E. P. (2011). Flourish: A visionary new understanding of happiness and well-being. Free Press.
- 内田由紀子(2011)『日本人の幸福感―文化心理学的視点』有斐閣
コメント
この記事へのコメントはありません。