実際、ある個人が快適に暮らし、高い生活の質を享受していたとしても、そうした快適に暮らしている人のあおりを受けて、その周りの人々がストレスフルで不快で、 生活の心配事に押しつぶ されてしまっていたならば、果たしてウェルビーイングが成立していると言えるだろうか。
一ノ瀬先生のこの論文で特に印象的だったのは、「誰かのウェルビーイングが、同時に誰かのイルビーイング(不快や苦痛)を生む」という指摘です。ウェルビーイングって「いいことばかり」なイメージがありますが、現実にはそう単純じゃないってこと。
たとえば論文には、こんな3つの事例が紹介されています。
① 正規雇用と非正規雇用
安定した企業で働く正社員は、給与も福利厚生も充実していて快適に働ける。これは本人たちにとってウェルビーイングな状態ですよね。
一方で、その裏側で同じ職場には非正規・非常勤で働く人がいて、雇い止めの不安にさらされている。正規の人が安定して快適に働けるのは、実は非正規の人たちの支えがあってこそ。この構造の中で、片方のウェルビーイングがもう片方のイルビーイングを生んでしまっているんです。
② 勝者と敗者を生むスポーツ
オリンピックの金メダル獲得は、選手にとっては夢の実現であり、生涯にわたって誇れるウェルビーイングな出来事です。
でも、その瞬間に敗者も必ず生まれます。敗退の悔しさに沈む選手もいれば、国によっては非難を浴びるケースさえある。勝者の喜びは、他の選手にとっては強烈なイルビーイングの原因になることがあるんです。
③ 消費者の満足と生産者の犠牲
私たちが安くて美味しいチョコレートや、安価で丈夫な服を手に入れて満足しているとき。これも消費者の側から見ればウェルビーイングです。
でも、その安さの背景には児童労働や途上国の労働者が買いたたかれている現実があるかもしれない。だからフェアトレードという取り組みが必要になるのですが、ここでも「誰かの快適さが、別の誰かの不快の上に成り立っている」という構造が見えてきます。
こうした事例を見ると、ウェルビーイングを「みんなが幸せになる魔法の言葉」として持ち上げるのは危ういとわかります。
一ノ瀬先生は、このような現実を踏まえて、ウェルビーイングが良いことではなく、「誰かのウェルビーイングが、他の誰かのイルビーイングを生んでしまう因果的な構造」を直視する必要があると論じています。そして、単に「ウェルビーイングを増やせばイルビーイングが減る」という単純な関係ではない、と強調しています。
最後に
人間は、嫉妬する生き物なので、昇進という制度がある限り、全員が幸せになることなど無理だと僕も思う。ただ、ウェルビーイングファーストな世の中にすれば、限りなく全員に近づいていくとも思う。
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