はじめに
「もう余裕がない」
「やっぱり私には無理」
そんな感覚を抱えながら、
「自分の器が小さいからだ」「もっと強くならなければ」と自分を責めてしまう人は少なくありません。
私たちのウェルビーイングは、楽でいることや常に前向きでいることだけで成り立つものではなく、行き詰まりや揺らぎをどう理解し、自分や他者とどう関わり直していけるかというプロセスそのものの中で育まれていくものでもあります。
今日まずお伝えしたいのは、この社会で行き詰まりを感じるのは、決して特別なことではないということです。むしろ、それはとても自然な反応なのです。
今回は、近年、特に人材育成や組織開発の分野で注目されている成人発達理論を用いて、「自分の器」を少し紐解いていきましょう。
具体的には、「人の器」とは生まれつき決まったものではなく、大人になってからも少しずつ育っていくものだという視点から、なぜ私たちはこの社会で“手一杯”になりやすいのか、
そして自分を責めずに、人との関わりの中で器を育てていくにはどうすればいいかについて考えていきます。
「今のしんどさ」をそのまま出発点にしながら、
この社会を生きる私たちが、少し楽に、少ししなやかに人と向き合うための視点をお届けします。
1.この社会は、私たちに「多く」を求めすぎている
現代社会に生きる私たちは、集団活動だけでなく、家族や友人関係においても実に多くのことを同時に求められています。例えば、空気を読むこと、自分の意見を持つこと、相手の立場を尊重すること、感情をコントロールすること、成果も人間関係も両立することなどなど。
成人発達理論の研究者であるロバート・キーガン は、現代社会はしばしば、人の心の発達段階を超える複雑さを要求してくると指摘しました(Kegan, 1994)。つまり、「追いつかない」「手一杯だ」と感じるのは、あなたが弱いからでも十分じゃないからでもなく、社会の要求そのものが非常に高度だからなのです。
2.「器が小さい」のではなく、「今は扱いきれない」だけ
人の器というと、生まれつき決まっているもののように感じられるかもしれません。
しかし成人発達理論の視点では、器とは性格や能力ではなく、物事や他者との関係をどのような枠組み(メガネ)で捉えているかを指します(Kegan, 1982, 1994)。
余裕がなくなるとき、私たちはよく、
- 相手の言葉をそのまま自分への否定として受け取ってしまう
- 対立が起きると、関係が壊れる気がしてしまう
- 白黒はっきりさせないと落ち着かない
状態になります。これは「未熟」だからではありません。今の枠組みでは、その複雑さを一度に処理しきれないというだけなのです。

3. 成長の余地がある、という希望
大切なのは、「だから私はダメだ」と結論づけないことです。
成人発達理論が一貫して示しているのは、人は大人になってからも、心の枠組みを発達させ続けることができる
という点です(Kegan, 1994)
成長とは、もっと我慢できるようになること、何でも受け入れられるようになることではありません。
そうではなく、
自分の感情に完全に飲み込まれなくなる
相手の反応と、自分の価値を少し切り分けられる
分からない状態を、すぐに解決せず保留できる
といった関わり方の変化として、静かに現れてきます。
あなたの「器」の状態を知るためのセルフチェック・ヒント
※はじめに
このセルフチェックは、厳密な心理測定や専門的な診断を行うものではありません。成人発達理論の考え方をベースに、今の自分が物事をどのような「メガネ(枠組み)」で捉える傾向にあるかを、自分自身で探るための簡易的なヒントとしてご活用ください。
今の自分に最も近いと感じる選択肢を、直感で選んでみてください。
① 「対立」が起きたとき、どう感じますか?
A: 相手に嫌われたのではないかと不安になり、相手の期待に応えようと自分を曲げてしまう。あるいは、波風を立てないことを優先する。
B: 自分の正しさを主張したくなる。相手が間違っていると感じ、自分の価値観やルールに従わせよう、あるいは距離を置こうとする。
C: なぜこの対立が起きているのか背景に興味が湧く。自分の正しさも「一つの視点」に過ぎないと考え、対話を通じて新しい共通点を探そうとする。
② 「役割(親・社員・パートナーなど)」と自分を切り離せますか?
A: その役割の「理想像」に振り回される。期待に応えられないと、自分自身の価値が全否定されたような深い落ち込みを感じる。
B: 自分の人生の目標のために、その役割をどう活用するかを考える。役割はあくまで「手段」であり、自分の境界線(ポリシー)を強く持っている。
C: 複数の役割を担う中での「矛盾」を受け入れている。仕事での自分も、家族の前での自分も、どれも自分の一部であり、矛盾があるからこそ人間らしいと感じる。
③ 「正解がない状況」にどのくらい耐えられますか?
A: 非常に不安。誰か信頼できるリーダーや専門家に「どうすればいいか」を教えてほしいと強く願う。
B: 自分のこれまでの経験や知識から、自分なりの「正解(マニュアル)」を導き出そうとする。答えが出ない状態は効率が悪いと感じる。
C: 分からない状態をそのままにしておける。今は答えが出ない時期だと割り切り、曖昧さの中に新しい可能性が生まれるのを待つことができる。
結果の捉え方:今のあなたはどこにいる?
- Aが多い:【環境順応型の知性】 周囲の期待や価値観を自分のものとして取り込んでいる状態です。協調性が高い反面、周りの要求と自分の限界の板挟みになり、「手一杯」になりやすい時期かもしれません。
- Bが多い:【自己主導型の知性】 自分の価値基準(自分軸)が確立された状態です。自立していますが、時に「自分の正解」に固執しすぎて、想定外の事態や異なる価値観を持つ相手に対して、余裕を失うことがあります。
- Cが多い:【自己変容型の知性】 自分の考え方そのものを客観的に見られる状態です。多様な視点を取り入れられますが、現代社会では非常に高度な精神発達段階であり、常にこの状態でいられる人は多くありません。

「器」を育てるための最初の一歩
このチェックで大切なのは、どの段階が良い・悪いと判断することではありません。
成人発達理論では、自分がどの枠組みで世界を見ているかに気づくこと自体が、発達の契機になる
と考えられています(Kegan, 1982, 1994)。
もし今、強い「しんどさ」を感じているなら、それは器が小さいからではなく、今の枠組みでは処理しきれないほど大きく複雑な課題に向き合っている という成長のサインで、器が育つ途中にいるのかもしれません。
参考文献
Kegan, R. (1994). In Over Our Heads: The Mental Demands of Modern Life. Cambridge, MA: Harvard University Press.
Kegan, R. (1982). The Evolving Self: Problem and Process in Human Development. Cambridge, MA: Harvard University Press.
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