第一ライフ資産運用経済研究所が「ライフデザイン30年史」シリーズの第3回として、経済的ゆとり感の変遷をまとめたレポートを公開しました。30年という長いスパンで「お金にゆとりがあるか」という感覚の変化を追ったこの調査は、幸福研究の文脈から見ると、いくつかの重要な問いを浮かび上がらせます。
経済的ゆとり感がある人の割合は、1995年には54.9%と半数を超えていましたが、その後低下が続き、2010年の44.3%を底に上昇に転じています。直近の2021年時点では49.2%まで戻したものの、1995年の水準には届いていません。特に注目したいのは性別・年代別の違いで、20代女性の低下幅が最も大きく、30年間で18.6ポイント減という大きな変化が生じています。さらに「かなりゆとりがある」と「ほとんどゆとりがない」の両極端が増加しており、経済的ゆとり感の二極化が進行していることも示されています。
経済的なゆとり感と幸福度の関係は、ウェルビーイング研究が長年取り組んできたテーマです。行動経済学者のダニエル・カーネマンと経済学者のアンガス・ディートンが2010年に発表した研究では、年収が7万5000ドル(当時)を超えると、収入の増加と日々の感情的な幸福感の相関がほぼ消えることを示しました。この「飽和点」の概念は、経済的ゆとりが一定水準を超えると、幸福への寄与が鈍化することを示唆しています。ただし、マシュー・キリングスワースが2021年に発表した追跡研究では、高収入層においても収入と幸福感の相関は続くと報告しており、飽和点の解釈は現在も研究者の間で議論が続いています。
ここで注目したいのは、「実際の収入」ではなく「ゆとり感」という主観的な感覚を30年分追った点です。客観的な所得統計と主観的なゆとり感は、必ずしも同じ動きをしません。人間の感じる豊かさは、絶対額よりも「周囲と比べてどうか」「将来への不安がどの程度か」という相対的・心理的な要因に強く影響されます。これは社会比較理論(他者との比較によって自己評価が形成されるという心理学の知見)が示す通りです。
前野隆司教授が提唱する「幸せの4因子」の中に、「なんとかなる(前向きと楽観)」という要素があります。経済的なゆとり感が失われると、この「なんとかなるさ」と思える心の余裕が直撃を受けてしまいます。将来への不安で頭がいっぱいになってしまうと、今日この瞬間の小さな喜びに気づく力まで奪われてしまうように感じます。
私自身、ウェルビーイングや地域の幸福度指標について学びを深める中で強く感じるのは、「経済的な安心感」は幸福を支える大切な土台(必要条件)ではあるけれど、それだけで幸せが完成するわけではないということです。幸福度が高い人や地域には、収入の多さだけでは説明できない「人とのあたたかいつながり」や、「誰かの役に立っているという実感」が必ず存在しています。
お給料を明日いきなり倍にするのは難しいかもしれません。でも、「誰かと比べて落ち込む時間」を少し減らし、今ある手元の小さなつながりや感謝に目を向けることは、今日からでもできます。お金という大切な土台の上に、私たちは毎日、どんな喜びを積み上げていくのか。その問いと向き合うことが、自分らしいウェルビーイングを育む一歩になるのではないでしょうか。
出典・参考文献・参考サイト
ライフデザイン30年史(3) 経済的ゆとり感の変遷(第一ライフ資産運用経済研究所)
https://www.dlri.co.jp/report/ld/575568.html
Kahneman, D., & Deaton, A.(2010)「High income improves evaluation of life but not emotional well-being」Proceedings of the National Academy of Sciences.
https://doi.org/10.1073/pnas.1011492107
Killingsworth, M. A.(2021)「Experienced well-being rises with income, even above $75,000 per year」Proceedings of the National Academy of Sciences.
https://doi.org/10.1073/pnas.2016976118
コメント
この記事へのコメントはありません。