兵庫県篠山市(現:丹波篠山市)の集落丸山という場所では、12軒のうち7軒が空き家になり、残る5軒に住む19人の平均年齢が65歳を超えていた時期がありました。あと10年で誰もいなくなるかもしれない、という危機感の中で始まったのが、一般財団法人ノオトによる古民家再生の取り組みです。
一般財団法人ノオトの理事、藤原岳史さんが取り組んだのは、単なる宿の建設ではありませんでした。空き家を改修して宿泊施設に変え、訪れた人に「1日だけ集落の人になってもらう」というコンセプトを据えました。朝食には切り干しダイコン、しいたけの茎で作ったきんぴら、村でとれた野菜に手作りの味噌汁。旅館風のサービスではなく、集落の日常がそのまま提供されます。「宿泊体験ではなく、歴史や文化を売っている」と藤原さんは言います。
この言葉に、地域のウェルビーイングを考えるうえで大切な視点が詰まっているように感じました。
場所への愛着(プレイス・アタッチメント。「ここが自分の場所だ」と感じられること)は、環境心理学が長く研究してきたテーマです。カナダ・ビクトリア大学のレイラ・スキャネル氏とロバート・ギフォード氏は、愛着のある場所を思い浮かべてもらう実験を行い、ただ見慣れただけの場所を思い浮かべた場合と比べて、参加者の自尊心、人生の意味の感覚、所属感が高まることを確かめました。場所とのつながりは気分の問題ではなく、人の心理的な欲求を実際に満たしているということです。古民家に泊まってその集落の一日を過ごすという体験は、訪れた人の中に小さな愛着を残していきます。
注目したいのは、藤原さんたちがあえて「ぴかぴかにしない」という選択をしていることです。古い壁をそのままにし、ドアや木材も当時のものを使い続ける。コスト削減でもありますが、それ以上に「年月が積み重なった味わい」が、訪れた人にとって代替不可能な体験をつくり出しています。標準化されたサービスが世界中に広がる中で、「同じ部屋はひとつもない」という多様性こそが、この宿の核心です。
プロギング(ジョギングしながらゴミ拾いするスウェーデン発祥の新しいフィットネス)でまちを走っていると、空き家になった古い建物が増えていることを肌で感じます。手入れが止まった庭、雨戸が閉まったままの縁側。そのひとつひとつに、かつて誰かの暮らしがあったことを思うと、何か寂しさを感じる一方で、藤原さんの言葉を借りれば、「日本社会が棄ててきたものが光を浴びる瞬間」を、どの地域でも作り出せる可能性があります。
集落丸山の取り組みがうまくいった背景には、地域の人たちとの20回以上の対話があり、大工や畳屋など地元の職人が改修を担い、雇用も生まれていました。外から来た「よそ者」のビジネスノウハウと、地域の中にあった歴史・文化・人のつながりが組み合わさることで、互いに補い合う形ができていきました。「地方と都会が一緒に手を結ぶのが重要」という藤原さんの言葉は、地域のウェルビーイングを外側から「支援する」のではなく、一緒に「つくる」という姿勢の表れでもあります。
この考え方は、大きな予算がなくても試せます。自分の住む町で、気になっている空き家や使われていない建物をひとつ思い浮かべてみる。誰が住んでいたのか、いまは誰が手入れをしているのか。集落丸山で交わされた20回以上の対話も、そうした一軒をめぐる問いから始まっています。
篠山の古民家再生の取り組みは、今あるものに光を当て、建物を築くだけでなく、人の関係性を築くことと一緒に実施することの大切さを教えてくれています。
出典・参考文献・参考サイト
部屋もサービスもばらばらでいい。地方と都会が手を結ぶ、古民家再生の物語【ソーシャル数珠つなぎ】(朝日新聞SDGs ACTION! / 2017年8月18日掲載)
https://www.asahi.com/sdgs/article/15563434
Scannell, L., & Gifford, R.(2017)「Place Attachment Enhances Psychological Need Satisfaction」Environment and Behavior, 49(4), 359–389.
https://doi.org/10.1177/0013916516637648
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